2011年01月11日

地域活性化におけるメディアの役割


1期生 佐藤

人が作り上げていく社会、そして地域。その地域が形を変えつつある。人の集まるまちがあれば、逆に人の減っていくまちがある。そして生まれたのが<地域活性化>という問題である。シャッターの並ぶ商店街や、閑散とした街並みがメディアでは映し出されている。多くの地域でこのような問題を抱え、どうにかしようと奮闘している。
様々な場面で使われている<地域活性化>という言葉だが、人それぞれ考え方は違い、その実態はとても曖昧なものである。私が地域活性化として浮かべるのは、単純だがまちに活気があふれているというイメージである。正直に言えば、どうなったら「活性化した」と言えるのか分からない。ただ言えることは、現代人の多くが自分の住むまちのことをよく知らず、誇りを持つことが出来ないということだ。これは特に若者に言えることではないだろうか。実際の私がそうだったように。今思えば、自分の生まれ育ったまちを誇れないことは悲しいことだと思う。ただ何も考えずに都会にあこがれていた。私のような若者は少なくないはずだ。そういう人たちに1歩外から自分の住むまちを見直してほしい。
このような問題を解決するためにメディアが糸口になるのではないかと私は考えている。新聞、雑誌、テレビ、ラジオ、インターネットなど、現代社会において様々なものへと形を変え、そしてどこにでも溢れているメディアという存在。誰もが接することができるものだからこそ効果があるのではないだろうかと思う。現代の人々はメディアという媒介を通して日々溢れる情報を取捨選択しているのだ。そして現代人の生活において切り離せない情報源であり、娯楽となっている。若者はインターネットやテレビで情報を得るし、高齢者は新聞やラジオを利用する。形は違うが、このメディアを利用し、普段交流することのない若者と高齢者のふれあいのきっかけに、今故郷に住んでいない人が故郷を思い出し、いつかは帰るきっかけにでもなればいいと考えている。高齢者は文化や歴史を守っていく力を持っているがそれを動かす力を持っているのは若者なのだと私は考えている。まちを活性化させていくには高齢者だけでなく、若い人の存在、そして相互の協力が必要なのだと私は考えている。
posted by カトハルゼミ at 18:58| 社会学一般系 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「イケメン論〜女性によるイケメン芸能人との脳内恋愛妄想〜」

「イケメン論〜女性によるイケメン芸能人との脳内恋愛妄想〜」

1期生 小澤

[主題・関心]
私はイケメン芸能人が好きだ。好きな俳優が出演しているものは必ずチェックするようにしている。また、握手会などのイベントにも参加している。友人にもイケメン芸能人の追っかけをしている子もいる。そのため、イケメン芸能人を卒論のテーマにすることにした。

1章では、過去にどのようなイケメン芸能人にハマっていったかを振り返りながら、論文で解き明かしたい謎、「イケメン芸能人は何故必要なのか」を提示する。

2章では、「イケメンとは何か」について追及する。辞典や先人の著書から、イケメンの定義を追及する。その定義から、自分なりに、イケメン芸能人を容姿に焦点を当てて分類する。また、容姿以外にイケメン芸能人に必要な要素とは何かを考える。

3章では、「イケメンの魅力とは何か」について調べる。イケメン芸能人が好きな友人2名にインタビューし、その回答から、イケメン芸能人の魅力とは何かを追及する。

4章では、「私にとってのイケメン芸能人とは何か」を考える。私は、脳内で恋愛妄想をする際に、イケメン芸能人を使うことがあるため、女性の脳内恋愛妄想に焦点を当てて考えていく。

5章は、2〜4章をまとめ、私なりの「イケメン芸能人は何故必要なのか」を述べる。

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子どもたちとメディア〜僕たちを繋ぐケータイ〜


タイトル:子どもたちとメディア〜僕たちを繋ぐケータイ〜

加藤ゼミ 現代社会学部1期生 五百崎

私が卒論のテーマに挙げるのは「子どもたちとメディア」についてである。私たちが幼い頃はほとんど持っていなかったアイテムである携帯電話。しかし小中学生の所持率も高くなっているのは何故なのだろうか。
私が考える1つの大きな理由は、「ゆとり教育が生み出した歪み」ではないかと考える。我が国日本は、1980年代から順次段階的に移行準備を進めてきて、2000年代から学習指導要領改正に従いゆとり教育の実質的な開始となった。しかし実状はゆとりをもたせた時間の穴埋めを必死にしている子ども達ばかりであった。ゆとり教育をすることにより、空いた時間は私的な時間というよりも、学校行事に使われ、また学業においては、勉強の出来る子と出来ない子の差が激しくなった。その現実として受験関係なく、塾には小学生と中学生の入塾者が後を絶たない。そして、出来ない子は、今まで以上に多く塾に通っている。ここで私は、現代の小中学生はゆとり教育によって、コミュニケーション不足になっているのではないだろうかと考える。ここで、私は決して単なるコミュニケーション不足ではないことを言っておきたい。なぜならば、普通のコミュニケーションならば、私達の時代よりも今の子ども達のほうが塾に通う時間などが増え、人と接する時間が増えているため、コミュニケーションの時間は増えている。私が言いたいのは、「無駄話コミュニケーション」である。私達の時代にあって、今の子ども達にないもの。それは「無駄話」の時間である。しかし、今の子ども達には無駄話の時間がないのだ。なぜならば、無駄話をしている余裕がないのだ。私的な時間が、塾から帰った自分の部屋にいる時間、夜寝る前などになる。そうなると、友人と無駄話をする時、携帯を利用したメールや電話といったコミュニケーションツールに頼るに他ないようだ。
これらのことを踏まえて、ネット社会と呼ばれる現代における子どもたちとメディアの繋がり、中学生・高校生と携帯の繋がりを調べていき、今後子どもたちと携帯電話のあり方やコミュニケーションについて考えていけたらいいと考えている。

posted by カトハルゼミ at 16:14| 社会学一般系 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

キャラクターとコミュニケーションの関係

タイトル:キャラクターとコミュニケーションの関係

1期生 岡田

(主題・関心)
人は人と話す時、常に自分の姿を意識して過ごしている。
自分ならどう答えるのか、相手ならどう反応してくれるのか、それら固まってしまった相手の対応や定型文化された対応が、私たちの見えない枠を固めていく。
私たちは意識・無意識に限らず自分の望むような虚像=キャラクターを使い、そのキャラクターを柔軟に変化させていき成長をする。またその成長は虚像のみの成長だけでなく、私たち自身にも強く成長性を促し、私たちの考え方すらも変えていく。
その背景には、現代では欠かせないツールとなったパソコンや携帯電話などメディア媒体の急激な成長も強く影響しており、それら外部の影響と交わりながら変わっていった今のコミュニケーションの形態を分析していく。
個性、アイデンティティなど一昔前の重視されていた概念や、いつもの普段話しているときなど、私たちが当たり前のように感じていることが少しずつずれてきているということを明確にしていきたいと思っている。
参考として、現在流行している○○キャラや、マスコットキャラクターなどによる影響や様々な人との関係によって起こる事件なども取り入れていき、キャラクターの存在をさらに強くさせていく。また、流行などの発生もまた私たちのキャラクターという概念が大きく左右されているために起きているということにも触れていきたい。
キャラクターは着せかえるアイデンティティということを最終的に述べたいと思っている。
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「有名性について〜真の有名人X」

主題…「有名性について〜真の有名人X」
制作者…水野

有名というモノは、目には見えなく、私たち一人一人のイメージでしか感じることができない。
何故、人は有名と呼ばれる者や物にこだわるのか。
人はどのように有名になっていくのか。
あなたも何か物を買うとき、有名と呼ばれる商品やメーカーにこだわってしまったことはないだろうか。

有名性はブーアスティンなど様々な研究者が有名性を研究してきたが、私はここで新しく「ニックネームから来る有名」「子供人気から来る有名」2つの持論を展開。
実際にアンケート調査を行い、考察。検証をした。
現代の人が有名に対しての考え方や人々が思う有名人の条件などをまとめ、そこから見えてくる有名というものをまとめた論文である。

posted by カトハルゼミ at 15:57| 社会学一般系 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月16日

タイトル:私とは?〜終着点のない自分探し〜

2期生 小島

私とは?〜終着点のない自分探し〜.docx.doc

主題・関心
〜人生とは永遠の自分探しの旅である〜
「自分探し」この言葉を一回は耳にしたことがあるだろう?
では一度も聞いたことがないというひと!!
生きていて一回はこのようなことを考えたことはないだろうか…
「自分とは私とはなんなのか?」「なんのために生きているのだろう」
「自己分析」「自己PR」「本当の自分とは」「自分を変えたい」…etc
これら全て「自分探し」であり、自分探しのかたちは人の数だけあっても過言ではない。
大学生の皆が現在進行形、もしくは絶賛体験中の「終着点のない自分探し」を
歴史的背景や若者のおかれている状況を含め、批判的かつ前向きに考察していく。
posted by カトハルゼミ at 23:01| 社会学一般系 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

住居=人間環境

3年 冨永

<主題・関心>
 大学生になり、初めての一人暮らし。これまで、当たり前のようにあった家という存在のありがたみを再確認した。人間と住居はとても密接な関係であり、その存在は自然と私たちに安心感を覚えさせてくれている。(であるが、普段からその存在に感謝して過ごしている人はほとんどいない。)家があるということは、現代人の私たちにとってとても自然で当たり前のことである。そんな当たり前の存在だからこそ、人間に与える影響力というものは計り知れないだろう。
 住居がないと人はストレスを覚える。住み心地が悪いと家族環境にも影響を与えざるを
えない。だから、人は住みやすさを求める。ちゃんとした人間として生きるため・良い家庭を築くため。家は、人の人生にとって一番大きな買い物になるかもしれない。アパートなどの1ルーム選びとは違ってとても責任感があり、そう安易に決めることはできない。だからこそ、工夫するおもしろさがあるのかもしれない。
 では、現代社会にはどのような住居が必要とされているのだろうか。量より質を重視するようになった時代に求められることとは何であろうか。これまでの家の歴史・病気・ライフスタイルなどについて触れつつ、現代人にふさわしい住居のあり方や、その影響力について主に考えていきたい。
posted by カトハルゼミ at 15:29| 社会学一般系 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月15日

タイトル:Twitter論

2期生 長江

〈主題・関心〉
250億ツイート。先日ツイッター者が発表したこの1年間のツイート数だ。
おそらく、今年一番注目されたSNSであるTwitter。
もちろん私もそのユーザーの一人である。
サービスを開始してからわずか5年足らずで世界の利用者数は1億人を突破した。
日本国内においては現在利用者数は1000万人以上といわれており、
今もなお利用者数は右肩上がりに増えている。

2009年から2010年にかけて国内利用者数はおよそ19倍にも膨れ上がり、
なぜこんなにも爆発的に利用者数を増やしたのだろうか。
「〜なう」や「ユニクロラッキーライン」など
ある種のブームをも生み出すツールともなっているこの新しいSNS。

私はこのTwitterの拡散力と他の大手SNSにはない独特の「ゆるさ」に注目してみた。
そして近年SNSはオープンコミュニケーション型からクローズドなコミュニケーション型へと移り変わっていく傾向にある。それにも関わらずユーザーを増やしていくTwitterにはいったいどんな魅力があるのだろうか。

完成版.doc

posted by カトハルゼミ at 13:49| 社会学一般系 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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